路線紹介 No.1

2000年5月7日に訪れた鶴見線の紹介
通勤専用に見える鉄道がある。海辺の工場を結び、毎日無機質な空気が流れる。
休日はどうだろう。運休はしていないが工場は休みである。どんな空気を運んでいるのか?
休日の鶴見線に乗ってみた。そこには穏やかな時間が流れている。そんな鉄道の紹介。
| 時は2000年5月。ゴールデンウイーク最後の日曜日。子供2人と電車に乗ることを目的とした小さな旅の途中で、この路線に寄ってみた。鶴見駅に着くと内改札がある。はて?なぜ同じJR線の一つの駅構内で、この路線のみ新幹線のように別料金を取るでもないのに内改札があるのか?と疑問に思う。この疑問は後で氷解するのだが、この時点では理解できない。 14:25。黄色い103系1407列車が鶴見駅3番線に入線。サボは、海芝浦とでている。東芝の工場敷地内にある終端駅である。5分ほどで出発時刻となり14:30分10人前後の乗客を乗せた3両編成の103系は動き出した。 のんびりとした足取りで横須賀、京浜東北、東海道本線と貨物線を一気にオーバーパスするとすぐ国道駅に到着。太平洋戦争当時の銃痕が残ると言われている駅であるが、今回は下車しなかった。10〜20人単位の乗客を乗せたり降ろしたりしながら鶴見小野、弁天橋、浅野と各駅に止まっていくこの区間は以外と民家が多いのに、驚かされる。しかしそれも浅野までで車内の乗客は我々3人を含めても6名となり東芝の敷地内へ。新芝浦、海芝浦で終点である。14:41定刻にホームに列車は停止した。ホームのすぐ脇が海なので気持ちがいい。 |
![]() 鶴見線103系海芝浦行きサボ |
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先ほども書いたとおり、この駅は株式会社東芝の工場敷地内である。路線は全くの東芝社員専用で、改札口もなく代わりに警備員室と、来客用のヘルメットがかかった棚ぐらいしかない。但し、駅の前方に進むと小さな公園があり、通常の旅客に開放している。しかしこの公園はJRが作ったものではなく、あくまで東芝が休日などに訪れる旅客のために造成して解放しているのである。さすがに小綺麗にされていて気持ちがよい。工場の敷地内に一般の人は入場できないので、駅から出場できず折り返し列車までの時間をここで過ごして下さいと、数年前に出来たのだと聞いたことがある。こういう施設は大事にしたいものである。 乗ってきた電車が、1504列車となり、15:05鶴見に向かって折り返す。車内では、運転士と車掌が何か話をしている。ゆったりとした時間が流れていく。見慣れた作りの車内。平日の通勤時間帯はラッシュとなって、山手線などと遜色のない混み具合であろう。しかし今日は波の音と、時折近づく船の汽笛ぐらいしか聞こえてこない。 空にはまだカモメも舞っている。よく見ると海猫も混ざっているようだが、日本でカモメは冬鳥である。そろそろ今シーズンも最後のカモメか? 先ほどの乗務員の声を掛けてみる。最近は土曜休日でも5,6人の乗客はいるとのこと。毎週今日のような感じなのだそうだ。昔は乗客0の列車もあったとか。 長いようで短い24分が過ぎ列車は海芝浦を後にする。 |
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| ここまで来れば大川支線にもと思ったのだが、休日ダイヤでは朝と夕方のみしか走っていない由。帰り時間の制約もあるので今日の所は断念することにして、次の扇町行き電車に乗るべく来た道を一度鶴見まで戻る事にする。 ここで少し鶴見線の歴史について。この路線は京浜工業地帯整備に伴い大正15年3月10日に浜川崎から弁天橋間と、大川支線(白石信号所、大川間)、石油支線(石油支線信号所、石油間)の計5.4Kmの路線とで鶴見臨港鉄道として開業。この時点では純粋に貨物線で、開業時の駅は弁天橋、浅野、安善町、白石、(信号所含む)、浜川崎、大川の6駅で全て貨物駅であった。昭和に入り3年8月18日に浜川崎から先1.3Km区間を延長。扇町駅を設置、翌年4年3月14日に白石を廃止し、少し浜川崎寄りに渡田駅を開業。客扱いは翌5年10月28日に、鶴見仮駅、本山、国道、弁天橋間2.4Kmを延長し、弁天橋・浅野間に安善通駅を追加して全通したのを受けて、通勤路線として10の駅で始まる。このとき大川支線の起点が安善通に変更されている。6年6月14日には鶴見駅本屋工事のため仮駅を移設、7月25日に武蔵白石駅開業、また浜川崎・扇町間に若尾と、昭和が3月20日に先行して開業している。翌年6月10日に浅野から新芝浦まで末広駅を中間に設置して0.9Km区間開業、6月15日に季節臨時駅として武蔵白石・白石間に海水浴前駅を開業。こんな所に海水浴場があったのかと少々驚かされるが、駅廃止が昭和18年7月1日であるところを見ると、太平洋戦争の開始年は駅を開けずにそのまま無くなったのであろう。そして9月1日に石油支線の安善橋駅を開業する。昭和9年12月23日に現在の鶴見駅が開業し、鶴見仮駅は廃止。大川駅を日清駅に改名。翌10年に弁天橋から鶴見川口間2.4Kmの支線を開業。昭和12年に日清駅を大川駅に戻す。更に昭和15年11月1日新芝浦・海芝浦間0.8Kmの延長をもって設備の追加増設が終わる。昭和17年12月12日には本山駅が戦争の影響もあろうが、初めての完全廃止となった。 昭和18年年までの期間が一番輝いていた時期かも知れない。そう、戦時民鉄統廃合により鶴見臨港鉄道も昭和18年7月1日、国鉄に買収され、東海道線籍鶴見線となる。この買収時点で国道・弁天橋間に鶴見小野駅が開業し、安善通駅が安善に改名、安善町貨物駅、海水浴前臨時駅、渡田駅、若尾駅、末広駅、安善橋駅廃止、石油駅を浜安善に改名し旅客扱いを停止、ほぼ近年の姿になる。 戦後は暫くこの姿のまま運行されていたが合理化政策の波の中、鶴見線内でも弁天橋・鶴見川口の2.4Km区間が昭和57年11月15日に廃止となった。続いて昭和61年11月1日石油支線の安善・浜安善間1.1Kmが廃止となり、現在の姿となる。その後も路線としては残っているものの本来の貨物扱いはほぼ無くなってきており、雑草に埋もれたヤード施設や、途中でとぎれた分岐線などを見る限り、ほぼ通勤輸送路線として機能している。ただ、浜川崎・扇町間のみは、東海道貨物線と南武線とのジャンクションとして広大な貨物ヤードは健在である。 |
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話がそれたが、その鶴見線の起点である鶴見駅。頭端式2面2線の駅構内は、京浜東北線と違い、欧州のターミナルを真似たような作りをしている。当初私鉄の駅として建設されたからか配線もシンプルでタイムスリップしたような気分にさせる。ひっきりなしに発着を繰り返す京浜東北線の発車ベル(音楽?)や、時折轟音と共に通過する横須賀線列車、209系の音階のようなインバーター音にて現実に引き戻されるものの、別世界のようなゆったりした時間が流れている。 ところで、構内改札であるが建設当時は国鉄との乗り換え改札であったラッチ跡に自動改札機を並べた模様。鶴見線内はほぼ無人駅の上、大半の駅が自動券売機1台のみ設置された改札ラッチもない駅である。そのために、京浜東北線との乗換駅であるここ鶴見駅に、乗り換え用の改札が設置されているのである。また、その改札の上には駅名票がつり下がり、やはりまるで別会社の乗り換え改札のよう。 そうこうしているうちに南側から次に乗車する予定の折り返し1509B列車となる103系3両編成が鶴見駅に到着した。 |
| 鶴見駅では休日や昼間は3番ホーム1面のみの使用らしく、今度の列車も3番線から。静かだったホームに少しだけ活気がでたような気がする。 列車は、定刻の15:40ゆっくりと動き出した。今回はちょっと車窓に気を配ってみる。発車後ゆっくりとした足取りで南に向かい、500m程進んだ先で左方向に進路を変え、、JR横須賀線、京浜東北線、東海道線、東海道貨物線、京浜急行電鉄本線の順にオーバーパスしていくのだが、その手前に進行方向右側上り線線路との間に本山駅の跡がある。中央線万世橋駅のような感じで低いホーム跡と、板で封鎖した階段らしき物があるのですぐそれとわかる。駅前の総持寺本山への詣で駅であったのであろう。 京浜急行線を過ぎると国道15号線(第1京浜国道)を渡ったところで国道駅。国鉄らしからぬ駅名であるが、元私鉄であったことを思えばそれも納得。この駅は先ほども書いたとおり太平洋戦争当時の銃痕がある駅としても有名であるが今回もパス。次回そういうことを目的とした旅に出るのも良いかも知れない。 |
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この駅を過ぎると、線路は地平に降り鶴見小野駅に停車。この駅は結構利用がある。とは言ってもこの日の乗降客は総勢30人程度ではあるが。駅の周りは住宅街なので買い物客等の利用であろうか。鶴見小野をでると首都高速横羽線と産業道路の下をくぐる。この辺りから進行方向右側の車窓に配線跡や、信号所跡が見れるようになる。最初に列車が更に左方向へ進路を変える辺りに、うち捨てられたような格好で分岐機が残る。鶴見川口への貨物支線ヤード跡がこの先弁天橋までの間にあり、その進入路跡である。右側にヤード跡が見えると弁天橋駅の到着する。 この先は、京浜工業地帯と呼ばれる工場群の中を貫いてゆく。無機質な風景の中、時折右手に現れる運河も両岸にプラントが立ち並び、普通の水辺という雰囲気はない。左手に鶴見線の車両基地を見ながら、浅野に到着。残念ながらすでに旧国電車両の姿はなかった。この駅でほとんどの乗客が降りてしまい、先程の海芝浦行きと同じような感じになった車内は貸し切り状態。 |
| 右手の海芝浦行きホームにカップルの姿が。この鶴見線内もデートコースなのだろうか? 列車は淡々と静まり返った工場群の中を行く。次の安善駅に到着するまでの間車窓右手には、雑草に埋もれ赤錆びたレールが顔を覗かせている石油支線分岐信号場&ヤード後が続く。到着した安善駅は浜安善への石油支線乗り換え駅であったが、現在その面影を見ることは出来ない。この石油支線は、その名前が示すとおり浜安善までの間米軍の貯油所、昭和シェル石油、東京ガス、モービル石油のタンクとプラントだらけの事業所で占められる安善町内の中央をまっすぐに貫く。元々、船で陸揚げされた石油をここから貨物で各所へ運搬するための貨物線として建設されている。晩年ではここも東芝、大川(日清)と同じく工場の社員が通勤するための通勤路線であったことは言うまでもない。 |
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また安善駅は、旧型国電車両の老朽化置き換えの際撤去された大川支線武蔵白石の代わりにこの駅が大川支線の乗換駅になっている。 |
| さて武蔵白石をでると、鶴見線最大の駅間距離を持つ区間である。(1.6Km)この間には海水浴前臨時停車場、渡田駅の二駅があったが、現在の車窓を見る限り両側に富士電気と日本鋼管の工場があるだけで他には何もなく、駅が廃止になったのも納得せざるを得ない。ましてや海水浴前などという駅名から想像できるような雰囲気はあるはずもなく、東京湾の浜辺がいかに早い時期から無くなっていったのかがわかる。ここから京浜東海道貨物支線が高架に上がりその下に沿って列車は走る。その東海道貨物線の下をくぐると浜川崎駅に到着である。 余談ではあるがこの東海道貨物線は鶴見川口の鶴見曹達を南端とし、新芝浦の東芝、石油支線のあった安善町、大川の日清、日本硝子、全域に散らばる日本鋼管などの工場から輸送品を集め水江町、千鳥町、浮島町等からの貨物線と塩浜操車場で合流。海底トンネルをくぐり大井にある東京貨物ターミナルへ向かう。ここも半分以上が新幹線の車両基地となり、往時の面影は残さないがその先も田町の北、浜松町で線路はとぎれ汐留貨物ターミナルはすでに再開発中である。 道路交通に主役を取って代わられたとはいえ、現在の環境問題などを考えると、鉄道貨物には頑張ってほしいものである。 |
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さて、ここまで貨物鉄道として誕生した鶴見線内で貨物列車はおろか、貨車さえも見あたらなかったが浜川崎を過ぎ、昭和に向かう途中過去に若尾駅があった辺りの左手にに広がるヤードではじめて貨物列車を発見。タンク車の編成でこれから新川崎の繰車場へとでも向かうのだろうか。在りし日の若尾駅を彷彿とさせる物は何もないが、現在も貨物列車で活気があり鉄道としては少々寂しかった鶴見線の本来の姿を見たような気がする。 右手に田辺運河を見て昭和電工のプラントが見えると昭和駅に到着。もうすでに乗り降りする乗客はおらず、我々3人とやはり鉄道好きなのかカメラを持った青年、おじいさんに連れられた3歳ぐらいの男の子と総勢6人を残すのみである。 昭和をでると列車はラストスパート、といいたいところであるがまるでこの先残り少ない終点扇町まで600m程の道のりを惜しむようにゆっくりと終点扇町に15:57定刻に到着。ここも他の支線終着駅に漏れず1面1線の何もない駅であった。 |
| 列車は10分後の16:07分に1608列車として折り返し鶴見駅へと向かう。我々3人も当然乗車して先程の浜川崎駅まで戻るとする。なんと、浜川崎までの2駅間は全くの貸し切りとなっていた。 浜川崎で下車し、跨線橋に上がったところ右壁面におもむろに自動券売機が現れる。改札もなく、ただの通路としてしか存在しない跨線橋内に自動券売機は妙に新鮮。階段を下り道路にでたところで今回の鶴見線の旅を終えた。 鶴見臨港鉄道という貨物鉄道として誕生した鶴見線。大正15年からその大任を黙々とこなし、ある時は海水浴客の足として、また総持寺への参拝客の足として、更に現在では並み居るトラックの波に押され貨物輸送は激減し通勤路線となっているが、こと休日についてはのんびりとした都市近郊の路線とは思えないような時間が流れている。こんな鶴見線がこれからも活躍するように祈って路線紹介第1弾を終えたいと思います。 |
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おまけ!南武支線
| だらだらとした紹介文をここまで読んで下さりありがとうございました。鶴見線の旅を終え、尻手まで利用した南武支線のようすをおまけとして紹介したいと思います。もう少し付き合ってやって下さいませ。 | |
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浜川崎からは南武線の支線である浜川崎支線で尻手へ向かうことにする。ここは昭和5年3月25日に先に開業していた南武鉄道が鶴見臨港鉄道との連絡貨物線として途中に八丁畷、川崎新町、新浜川崎の3貨物駅を設置し尻手駅より浜川崎まで4.1Kmの路線として開業した。旅客扱いは翌月の4月10日に尻手−新浜川崎間で開始されており、元々旅客鉄道として開業した南武鉄道であるから鶴見臨港線の開業後5年に比べると早い。この新浜川崎駅は現在の浜川崎より400m程北にあり、現在の浜川崎付近は単なる連絡線であった。そして戦争中期の昭和19年4月1日に南武鉄道は国鉄に買収され、現在の浜川崎に駅を移転。同時に新浜川崎駅を廃止。その後昭和48年10月1日に新鶴見信号所設置し、八丁畷から東海道線に沿って東海道貨物線鶴見信号所までの連絡線の完成を見て現在の姿となる。 ここに走る車両は101系都市圏通勤用電車の草分け的存在であり、戦後の国電といえば101系しか思い浮かばないぐらい親しまれた車両である。そのデザインは103系、同高床運転台車、201系、205系電車まで受け継がれている。 |
| 本当に好きな人でもないと101,103系などは見分けが付かないであろう。しかしこの101系はもうこの路線でしか見ることが出来ない車両であることを付け加えておく。時代の流れとはいえまだまだ現役で走っている姿を見ると惜しいような気もするが、状態を維持して走らせるのにも相当な労力がかかっていると思われる。錆びて塗装が浮き上がりボロボロになったブルートレイン車両や200系新幹線に比べるとよほど手入れが行き届いているのが救いである。この分なら末永く大切に運行されることであろう。 16:27分1627列車は釣り掛けモーターのような重たいモーターのうなり音と共にゆっくりと発車。結構加速性能は良く、一気に加速していく。貨物側の本線との合流を済ませると更に加速。2Kmの駅間を飛ばして?川崎新町に到着。かつての貨物ヤードであったところは駐車場になっている。出発するとすぐに高架に上がり京浜急行線をオーバークロスする所が八丁畷駅。そのまま東海道線をまたぎ、少し走ると尻手駅である。 南武支線は4.1Km7分の路線を往復しているだけであるが、懐かしい音のする電車が走っている路線である。 |
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